スキンケア 肌荒れ ファンデのらない朝に立て直した話

鏡を見た瞬間、今日はもう無理かもしれないと思った朝がある。頬は赤く、あごには細かいぶつぶつ、乾燥しているのに皮脂だけ浮いていて、ファンデーションをのせた途端にまだらになった。私は38歳、パートと家事と中学生の娘の送り出しで朝が一気に過ぎる毎日を送っている。若い頃は少し寝れば戻っていた肌が、ここ数年はそう簡単に立て直せなくなった。しかも忙しい日に限って、肌荒れは目立つ。

その日も、下地を重ねて隠そうとして失敗した。毛穴にたまるし、乾いた部分だけ粉っぽく浮くし、見るたびに気分が下がる。昔の私は、こういう朝に限っていろいろ塗り足して、結局よけいに崩していた。でも一度、職場のトイレでひび割れたファンデを見てから、足し算でどうにかするのをやめた。あの日の惨めさは、今でもはっきり覚えている。

肌荒れしている日に必要だったのは、頑張ることではなかった

私が勘違いしていたのは、荒れた肌ほどちゃんと整えないといけないと思い込んでいたことだった。化粧水も美容液もクリームも下地も、全部きっちり使わないと不安で、少しでも手を抜くと老ける気がしていた。でも実際には、刺激が重なっている日に何層ものせるほど、肌は落ち着かなかった。

ある朝、時間もなくて半分やけくそで手順を減らした。ぬるま湯で顔を流して、いつもより少なめに保湿をして、日焼け止めだけ先に薄く広げた。そのあと、リキッドではなく手持ちのやわらかいコンシーラーを赤みの強いところだけに置いて、スポンジで押さえるようになじませた。最後にファンデーションを顔全体ではなく、頬の外側とおでこだけにごく薄くのせた。すると、完璧ではないのに、前よりずっとましに見えた。

全部隠すのをやめたら、気持ちまで軽くなった

そのとき初めて、肌荒れの日に必要なのは無傷の顔を作ることではなく、これ以上機嫌を悪くしないことだとわかった。赤みが少し透けていても、厚塗りで疲れた顔になるよりずっといい。娘に「今日のママ、いつもより早いね」と言われて、私はそこでようやく肩の力が抜けた。誰も私の頬を拡大して見ていないのに、自分だけが責め続けていた。

昔は、肌の調子が悪い日に人と会うのが本当に嫌だった。レジで店員さんに顔を見られるのも、職場で雑談するときに正面を向くのも気になっていた。でもよく考えたら、相手は私の肌より会話の内容を見ている。そう頭ではわかっていても、荒れた朝は自信まで削られる。だからこそ、見た目を完璧に整えるより、これで出られると思えるラインを早めに作ることが大事だった。時間をかけて悪化させるより、ほどほどで終えるほうが一日が壊れにくい。

それからは、肌荒れしてファンデがのらない朝のために、前日の夜から欲張らないようにした。新しいものを重ねて試さない。ゴシゴシ落とさない。翌朝に隠しやすくすることより、荒れを広げないことを優先する。地味だけれど、この考え方に変えてから、朝の絶望感はかなり減った。

前は、SNSで見たきれいな肌の人の手順をそのまま真似しては、できない自分に落ち込んでいた。丁寧に何工程も重ねる時間もなければ、肌の調子も毎日違う。なのに、同じやり方で同じ仕上がりにならないことにいちいち傷ついていた。朝の洗面所で必要だったのは正解探しではなく、今日の肌が耐えられる範囲を見極めることだった。そこを間違えなくなってから、失敗する日でも立て直しやすくなった。

もちろん、今でもうまくいかない日はある。生理前や寝不足が重なると、鏡を見るだけで落ち込む。でも、そんな朝に必要なのは、完璧なスキンケア知識より、自分を雑に扱わない感覚だった。今日は肌が荒れている、それだけ。だらしないわけでも、老け込んだわけでもない。そう言い聞かせながら、少ない工程で整えて出かけるほうが、結果的に一日を普通に始めやすい。

ファンデがきれいにのらない朝は、本当に気分が削られる。でも私は、あのまだらな頬のおかげで、盛ることより引くことを覚えた。隠し切れない日があっても、その日の自分まで否定しなくていい。肌が落ち着くまで静かにやり過ごす方法を持っているだけで、朝のしんどさは少し小さくなる。今の私に必要だったのは、高いものを増やすことではなく、荒れた日にやりすぎない勇気だった。

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