シンママになる決意とお金の不安を乗り越えるまでの体験談

あの夜、私はテーブルの上にある一通の離婚届をじっと見つめていた。

静まり返った部屋。

隣の部屋では、5歳になる娘がすやすやと寝息を立てている。

夫のいびきも聞こえない、ただ静かな夜。

「これで、本当にいいんだよね……?」

ペンを握る手が、かすかに震えていた。

度重なるモラハラと、限界に達した心

結婚して6年。

最初は優しかった夫も、娘が生まれてから徐々に変わっていった。

「誰の金で飯が食えてると思ってるんだ」
「専業主婦のくせに、家事もまともにできないのか」

日々の些細なミスをネチネチと責め立てられ、
私の心は少しずつ削られていった。

娘の前でも平気で怒鳴るようになり、
ある日、娘が怯えた目で私を見上げた瞬間。

「あ、もう無理だ」

私の中で、何かが完全に壊れる音がした。

このままでは、娘まで壊れてしまう。

決意は固まった。

でも、頭に浮かぶのは「お金」のことばかりだった。

貯金ゼロから始まるシングルマザーへの道

専業主婦だった私には、自分名義の貯金なんてほとんどなかった。

夫の給料はすべて夫が管理し、私は毎月決まった生活費しか渡されていなかった。

「離婚したい」

そう思った時、真っ先に立ちはだかったのが経済的な不安だった。

家賃はどうする?
生活費は?
娘の保育園代は?

調べれば調べるほど、シングルマザーの貧困という現実が重くのしかかる。

夜な夜なスマホで「シンママ 生活費」「母子家庭 手当」と検索しては、
絶望的な気持ちになって、声を殺して泣いた。

パートを始め、少しずつ自立の準備をする

でも、泣いていても現実は変わらない。

まずは自分で稼ぐ力が必要だった。

夫には「少しでも家計の足しになればと思って」と嘘をつき、
近所のスーパーでパートを始めた。

久しぶりの仕事。

最初はレジの操作も覚束ず、クレーマーのお客さんに怒鳴られて落ち込む日もあった。

でも、自分で稼いだ初めての給料5万円を握りしめた時、

「私でも、やればできるんだ」

その小さな自信が、私を支えてくれた。

この5万円は、夫には内緒の「逃亡資金」として、こっそり貯金箱に入れた。

行政の支援を徹底的に調べる

パートと並行して、市役所の窓口にも何度も通った。

児童扶養手当、ひとり親家庭等医療費助成制度、就学援助。

自分が使える制度を一つ残らずノートに書き出した。

担当の職員さんは、とても親身になって話を聞いてくれた。

「お母さん、一人で抱え込まなくていいんですよ」

その言葉に、また涙が出そうになった。

制度を知ることで、「なんとかなるかもしれない」という希望が見え始めた。

ついに迎えた、離婚届を提出する日

パートの貯金が30万円になった頃。

私は実家に帰り、両親にすべてを打ち明けた。

父は黙って話を聞き、母は泣きながら「よく今まで頑張ったね」と抱きしめてくれた。

当面の住まいは実家にさせてもらうことになり、
これでようやく、夫の元を去る準備が整った。

そして、あの夜。

震える手で離婚届にサインをした。

翌朝、夫が仕事に行った後、
私は娘を連れて、最小限の荷物だけを持ち、家を出た。

市役所で離婚届を提出した瞬間、
不思議と涙は出なかった。

ただ、深く息を吸い込むと、胸のつかえがスッと取れたような気がした。

不安と背中合わせの、新しい生活の始まり

今、私はシングルマザーとして、娘と二人で暮らしている。

正直、毎日がギリギリの生活だ。

パートの給料と各種手当を合わせても、贅沢はできない。

スーパーの特売品を買いに走り、娘の服はフリマアプリで安く手に入れる。

「ママ、これ買って!」と娘に言われても、
「ごめんね、今日は我慢してね」と言わなければならない時は、本当に辛い。

でも、夫の顔色を窺い、ビクビクしながら過ごしていたあの頃に戻りたいとは、
一度も思ったことがない。

離婚を迷っているあなたへ

「お金がないから離婚できない」

そう思って、毎日泣いているお母さんへ。

お金の不安は、確かにある。
きれいごと抜きで、シングルマザーの生活は厳しい。

でも、少しずつ準備をすれば、道は必ず開ける。

パートでもいい、小さな一歩から始めてみて。

行政の支援もある。頼れるものはすべて頼っていい。

子どもの笑顔を守るために、
まずは自分自身が笑える環境を、少しずつ作っていってほしい。

私もまだ、不安と闘いながら必死に生きている途中だけど。

一緒に、頑張りましょう。

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