「ママ、みてー!かいたの!」
ZOOMの画面越しに、上司が真剣な顔で来期の売上目標について語っている最中だった。
私の膝の上に、3歳の娘がクレヨンで描いたぐちゃぐちゃの絵を押し付けてきた。
「ちょっと待ってね、あとで見るから」
声を出さず、口パクと必死の形相で娘に訴えかける。
でも、娘は「あとで」なんて言葉を理解するわけもなく、「みてってば!」とさらに大きな声を上げた。
慌ててマイクをミュートにし、カメラの死角に娘を押しやる。
画面の中では、上司が「……というわけで、佐藤さん、この件どう思う?」と私に話を振っていた。
「あ、はい!えっと……」
頭の中は真っ白。娘の泣き声がBGMのように響く中、私は適当な相槌を打つしかなかった。
私は34歳。IT系の会社で働くワーママだ。
週に3日の在宅勤務が認められ、「これで通勤時間が減って育児との両立が楽になる!」と歓喜したのも束の間。
現実は、理想とは程遠い地獄だった。
「集中できない」という底知れぬストレス
保育園の休園や、娘の急な発熱。
在宅勤務だからといって、「じゃあ家で見ながら仕事できるね」と周りは簡単に言う。
夫も「俺は出社しなきゃいけないから、よろしく」と、当然のように私に任せて家を出て行く。
でも、「子供を見ながら仕事をする」なんて、人間の限界を超えている。
パソコンに向かって集中しようとすると、5分おきに「お茶飲みたい」「これ開けて」「トイレついてきて」と声がかかる。
企画書のアイデアを練っている最中に、背中におもちゃの車を走らせられる。
重要なメールを打っている途中で、キーボードをバンバン叩かれる。
その度に、私の中でプツン、プツンと集中力が途切れていく。
「お願いだから、5分だけ静かにして!!」
ある日の午後、どうしても終わらせなければいけない資料作りがあった私は、ついに娘に向かって怒鳴ってしまった。
娘はビクッと肩を震わせ、大きな目からボロボロと涙をこぼして泣き出した。
その小さな背中を見て、私は激しい自己嫌悪に襲われた。
娘は何も悪くない。
ママが家にいるから、遊んでほしいだけだ。
それなのに、自分の仕事が思い通りに進まないストレスを、この小さな子にぶつけてしまった。
「ごめんね……ごめんね」
泣く娘を抱きしめながら、私も一緒に泣いた。
もう、限界だった。在宅勤務なんて、私には向いていない。
限界ワーママの「諦め」
その日の夜、子供を寝かしつけた後、私はパソコンを開いて「在宅勤務 子供 限界」と検索した。
出てきたのは、私と同じように追い詰められているママたちの悲痛な叫び。
そして、その中にあったあるブログの一文に、私の目は釘付けになった。
『子供を見ながら仕事をするのは、無理です。だから、完璧にこなそうとするのを諦めました』
諦める?
そのブロガーさんは、こう続けていた。
『仕事のクオリティを7割に下げる。子供にはテレビや動画をフル活用する。それでもダメなら、潔く有給を取る。「在宅勤務=家で完璧に仕事ができる」という幻想を捨てることから始めました』
目から鱗が落ちる思いだった。
私はずっと、「会社にいる時と同じように」仕事をして、同時に「良き母として」子供の相手も完璧にこなそうとしていたのだ。
それができない自分を責め、子供に当たり、夫にイライラしていた。
「無理なものは無理なんだ。」
そう声に出してみると、張り詰めていた肩の力がスッと抜けた。
「できない」を共有する勇気
次の日、私は思い切って、同じチームで働く同僚たち(ほとんどが独身や子供がいない人たち)に、今の状況を正直にチャットで伝えた。
「今週は子供が家にいるため、レスポンスが遅れることがあります。また、ミーティング中に子供の声が入ってしまうかもしれません。ご迷惑をおかけしますが、よろしくお願いします。」
送信ボタンを押す手は震えた。「プロ意識が足りない」と思われるかもしれない。
でも、返ってきた反応は予想外のものだった。
「大変ですね!急ぎの案件は私が巻き取るので言ってください」
「うちの犬が吠えるのと同じですよ(笑)気にしないでください!」
涙が出そうになった。
私が一人で「完璧にやらなきゃ」と抱え込んでいたプレッシャーは、自分自身で作り出していた幻だったのだ。
それから私は、在宅勤務中の「諦めルール」を作った。
1. 子供がいる日は、テレビやタブレットを罪悪感なく頼る。
2. 集中が必要な作業は、早朝(子供が起きる前)か夜に回す。
3. 日中は「メールチェック」や「簡単な事務作業」など、細切れでもできる仕事だけをする。
4. どうしても無理な時は、数時間だけでも「時間休」を取る。
このルールを自分に許したことで、私の心には信じられないほどの「余裕」が生まれた。
完璧じゃなくても、回っていく
もちろん、今でもZOOM中に娘が乱入してくることはある。
でも今は、焦ってミュートにして怒鳴ったりしない。
「すみません、ちょっと娘が挨拶したいみたいで」と画面越しに笑って誤魔化せるようになった。
チームのメンバーも、「おーい、大きくなったねー」と笑って手を振ってくれる。
仕事の進み具合は、一人で集中できる時の「7割」かもしれない。
でも、私が笑顔でいられることで、娘も無駄にぐずらなくなり、結果的に仕事がスムーズに進むことも増えた。
在宅勤務と育児の両立は、決して美談なんかじゃない。
泥臭くて、情けなくて、毎日が綱渡りだ。
でも、「完璧」を諦めた瞬間から、その綱渡りは少しだけ楽になる。
もし今、パソコンの前で泣きそうになりながら子供に怒鳴ってしまっているママがいるなら。
全部を上手くやろうとするのは、もうやめてみないか。
「無理です」と周りに助けを求めて、動画やテレビに頼り切ったっていい。
あなたが笑顔でいられる「7割の働き方」が、実は一番、家族にとっても会社にとっても正解なのかもしれない。