「ママ、見て見て!」
4歳の息子が、レゴブロックで作った大きな飛行機を持って走ってきた。
でも、私の目はスマホの画面から離れなかった。
「すごいねー。あとでゆっくり見るから、ちょっと待ってね」
画面には、ママ友がアップした週末のバーベキューの写真が映っている。
私はそれに「いいね」を押し、コメントを打ち込みながら、心の中では息子に「少し黙っていて」と念じていた。
私は、33歳の専業主婦。
「スマホ育児」という言葉に、いつも胸がチクリと痛む。
子供に動画を見せて大人しくさせている自分。
そして何より、子供の話を適当に聞き流して、自分自身がスマホに依存していること。
「ダメな母親だな」と自己嫌悪に陥りながらも、私はスマホを手放せずにいた。
「動画」という魔法の杖
息子が2歳の頃、私は「絶対にスマホやテレビは見せない」と誓っていた。
絵本をたくさん読み聞かせて、木のおもちゃで一緒に遊ぶ。
それが「理想の育児」だと思っていた。
でも、現実は違った。
夕方の家事でバタバタしている時、息子が足元で泣き叫ぶ。
「抱っこして!遊んで!」
コンロには火がかかり、洗濯物は取り込んだまま山積みになっている。
その時、初めてスマホで子供向けの動画を見せた。
すると、泣き叫んでいた息子が嘘のように静かになり、画面に釘付けになった。
「……なんて楽なんだろう」
魔法の杖を手に入れたような気分だった。
それ以来、「ちょっとだけ」が「夕飯を作る間」になり、やがて「私が疲れている時」へと、動画に頼る時間はどんどん長くなっていった。
子供よりスマホを見る時間
さらに問題なのは、息子に動画を見せている間、私自身もスマホでSNSやネットニュースを見続けるようになったことだ。
育児の孤独感や疲れを紛らわすため。
誰かと繋がっているという安心感を得るため。
公園に連れて行っても、息子が砂場で遊んでいる間、私はベンチでスマホをスクロールしている。
「ママ、見て!」と呼ばれても、生返事をするだけ。
ある日、息子が画用紙に私の似顔絵を描いてくれた。
その顔には、片手に四角い黒い物体(おそらくスマホ)がしっかりと握られていた。
それを見た時、私はサーッと血の気が引いた。
息子の記憶の中の私は、いつもスマホを見ている「顔のないお母さん」になってしまっているのではないか。
「完全な排除」は無理だと悟る
その日、私は「スマホ断ち」を決意した。
息子にも動画を一切見せない。私もスマホを手の届かないところに置く。
でも、その決意はたった1日で崩れ去った。
夕方、どうしても手が離せない時に息子が泣き叫び、私のイライラが爆発してしまったのだ。
「もう!静かにして!」
怒鳴ってしまった後、私は泣きながらスマホで動画を再生した。
「やっぱり無理だ。私にはスマホなしで育児なんてできない」
完全な排除を目指したことで、逆に「できない自分」に絶望してしまった。
「メリハリ」という現実的な選択
それから、私は少し考え方を変えることにした。
「スマホ育児」を完全に悪者にするのはやめよう。
動画に頼る時間があるから、私は夕飯を作れるし、一息つけるんだ。
それを否定するのは、自分を追い詰めるだけだ。
その代わり、「見せる時間」と「見せない時間」のメリハリをしっかりつけることにした。
・夕飯を作る時の30分間は、動画を見てもOK。その間、私は思い切り家事に集中する。
・でも、それ以外の時間(食事中や、公園で遊んでいる時)は、私もスマホをバッグにしまう。
「ママ、見て見て!」と呼ばれた時は、必ず一度スマホを置いて、息子の目を見るようにした。
スマホは「敵」ではなく「ツール」
ルールを決めてから、不思議と「スマホ育児」への罪悪感は薄れていった。
「今は動画の時間だから、ママも少しだけSNS見よう」
そう割り切ることで、心の底からリラックスできるようになったからだ。
そして、スマホを置いて息子の目を見る時間が増えたことで、息子の笑顔も増えたように感じる。
スマホは、決して「育児の敵」ではない。
使い方次第で、母親の心を救ってくれる強力な「ツール」になる。
もし今、「スマホを見せてばかりでごめんね」と自分を責めているお母さんがいたら。
どうか、自分を追い詰めないでほしい。
動画に頼る時間があってもいい。
その分、スマホを置いて子供をギュッと抱きしめる時間があれば、きっと愛情はしっかりと伝わるはずだから。