憧れの「丁寧な暮らし」に疲れて全部やめたら家族の笑顔が増えた話

「あ、このお皿かわいい。今日の晩ご飯、これに盛り付けようかな」

スマホで雑貨屋さんのオンラインショップを見ながら、私はつぶやいた。
画面には、木製のプレートやリネンのクロス、丁寧に淹れられたコーヒーの写真が並んでいる。

私は、32歳の専業主婦。
1歳の娘のお昼寝中、こうして「丁寧な暮らし」を発信するSNSやブログを見るのが日課だった。

「私も、こんな風に毎日を大切に過ごしたい」

そう思った私は、形から入ることにした。
プラスチックのタッパーを捨てて、野田琺瑯の保存容器に買い替える。
スーパーの安い出汁の素をやめて、昆布と鰹節から出汁を取る。
娘の服も、キャラクターものではなく、オーガニックコットンのシンプルなものを選ぶ。

理想の生活に近づいているようで、最初はとても楽しかった。

「丁寧」に縛られる毎日

でも、その楽しさは長くは続かなかった。

ある日の夕方。
出汁を取った後の昆布と鰹節で、自家製のふりかけを作っていた。
「これをご飯にかければ、無添加で安心だし、エコだわ」

そう思ってフライパンで炒り続けていた時、足元で娘がぐずり始めた。

「ママー、だっこー」

普段ならすぐに抱き上げるのに、その時の私は焦っていた。
「ちょっと待ってて!今、焦げちゃうから!」

泣き声はどんどん大きくなり、最後には火のついたように泣き叫び始めた。
私は火を止め、焦げかけたふりかけを見てため息をついた。

「せっかく手間暇かけて作ってたのに……」

ふと我に返り、泣きじゃくる娘を抱きしめた。
私、何やってるんだろう。
「丁寧な暮らし」のために、目の前で泣いている娘を放置するなんて、本末転倒じゃないか。

憧れと現実のギャップ

その夜、夫が帰宅して夕食の席についた。

「今日の味噌汁、なんか薄くない?」

私が時間をかけて取った出汁の味噌汁を飲んで、夫はそう言った。
悪気はないのだろうけれど、その一言が私の心にグサリと刺さった。

「薄い?ちゃんと昆布と鰹節から出汁を取ったのに」
「ふーん。俺、いつもの出汁の素のほうが好きかも」

夫はそう言って、味噌汁に醤油を少し足した。

その瞬間、私の中で何かがプツンと切れた。
私が毎日必死に追い求めていた「丁寧な暮らし」は、誰のためのものだったんだろう。

家族のため?
いや、違う。
「丁寧な暮らしをしている自分」に酔いしれていたかっただけだ。
SNSで見かける、あのキラキラした世界に自分を重ねて、満足したかっただけなのだ。

「適当」の心地よさ

翌日から、私は「丁寧な暮らし」をスッパリとやめた。

出汁は、再びスーパーの顆粒出汁に戻した。
保存容器も、洗うのが面倒な琺瑯ではなく、食洗機に放り込めるプラスチックのタッパーを買い直した。
娘の服も、本人が喜ぶアンパンマンのTシャツを買って着せた。

「なんだ、これでいいじゃん」

肩の荷が下りて、驚くほど心が軽くなった。

出汁を取る時間をやめた分、夕方は娘と一緒に絵本を読む時間が増えた。
アンパンマンのTシャツを着て満面の笑みを浮かべる娘を見ると、オーガニックコットンなんてどうでもよくなった。

私サイズの「丁寧」

今でも、SNSで「丁寧な暮らし」を見ると、素敵だなとは思う。
でも、もう自分と比べることはなくなった。

あの人たちにはあの人たちの、私には私の暮らしのペースがある。
「丁寧」の基準は、人それぞれでいいのだ。

私にとっての「丁寧」とは、完璧な家事をこなすことではなく、家族の笑顔にちゃんと向き合うこと。
多少部屋が散らかっていても、夕飯がレトルトでも、娘と笑い合える時間があるなら、それが一番の「丁寧な暮らし」だと思う。

もし、かつての私のように「丁寧な暮らし」に疲れてしまった人がいたら。

どうか、無理をしないでほしい。
「やらなきゃ」という義務感で苦しくなるくらいなら、いっそ全部やめてしまえばいい。
あなたが笑顔でいることこそが、家族にとって一番の「丁寧」なのだから。

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