「もう!いい加減にしてよ!」
静まり返った夜のマンションに、私の怒鳴り声が響いた。
手から滑り落ちた牛乳のパックが床にぶちまけられ、白い液体がじわじわと広がっていく。
私の目の前には、泣きじゃくる3歳の娘。
「ごめんなさい、ごめんなさい」と小さな両手で顔を覆って震えている。
その姿を見た瞬間、サーッと血の気が引いた。
私、またやってしまった。
私は、33歳の専業主婦。
夫は毎日終電帰りで、いわゆる「ワンオペ育児」の真っ只中だ。
朝から晩まで、娘と2人きり。
可愛い娘のことは大好きなのに、毎日の小さな「イライラ」が積み重なると、どうしても抑えきれなくなる時がある。
コップから溢れるイライラ
その日の朝は、最悪のスタートだった。
娘はイヤイヤ期のピーク。
着替えを拒否し、朝ごはんのパンを床に投げ捨てる。
やっとの思いで着替えさせたと思ったら、今度は「この靴下はイヤ!」と玄関で泣き叫ぶ。
「お願いだから、早くしてよ……」
イライラを必死に飲み込みながら、自転車を飛ばして児童館へ向かった。
でも、児童館でもお友達のおもちゃを取ってしまったり、順番を守れなかったり。
そのたびに私は頭を下げて回り、娘を叱った。
「なんでちゃんと言い聞かせられないんだろう」
「他のママたちは、あんなに優しく笑っているのに」
周りの目線が痛くて、いたたまれなかった。
私だけが、母親としてダメな人間なんじゃないか。
そんなプレッシャーが、私の中の「イライラのコップ」に少しずつ水を注いでいく。
限界を迎えた夜
夕方、スーパーへ買い物に行った帰り道。
娘は「歩きたくない!抱っこ!」と座り込んだ。
両手には重い買い物袋。
私の体力も気力も、もう限界だった。
「歩けるでしょ!置いていくよ!」
冷たい声でそう言い放ち、一人でスタスタと歩き出した。
後ろから「ママー!」と泣いて追いかけてくる娘の声を背中で聞きながら、心の中はドス黒い感情でいっぱいだった。
そして帰宅後。
夕食の準備でバタバタしている私の横で、娘が冷蔵庫を勝手に開け、牛乳パックを取り出そうとした。
「あっ」
パックは娘の小さな手から滑り落ち、床に激突。
その瞬間、私の中のイライラのコップが、ついに決壊した。
「だから触らないでって言ったでしょ!!」
冒頭の怒鳴り声だ。
わざとじゃないのはわかっている。
娘が「ママのお手伝いをしようとした」ことも、本当は気づいていた。
でも、一度溢れ出した怒りは止められず、私は娘を怒鳴り続けてしまった。
娘の寝顔を見て泣いた夜
夜、娘を寝かしつけた後。
散らかったリビングで、私は一人、ポロポロと涙を流していた。
「また怒りすぎちゃった」
「あんなに怒鳴る必要なかったのに」
「私は、最低な母親だ」
自己嫌悪で胸が押し潰されそうになる。
寝室に行き、娘の小さな寝顔を覗き込んだ。
涙の跡がカピカピに乾いたほっぺたを見ると、ごめんね、と謝っても謝りきれなかった。
そっと頭を撫でると、娘が寝ぼけまなこで目を開けた。
「……ママ?」
「ごめんね、今日はいっぱい怒ってごめんね」
私が泣きながらそう言うと、娘は小さな手で私の頭をポンポンと撫でてくれた。
「ママ、だいすきよ。あしたは、いっぱいあそぼうね」
その言葉を聞いた瞬間、私は声を出して泣き崩れた。
こんなに怒鳴る最低な母親なのに、娘は無条件で私を愛してくれている。
その事実が、痛いほど胸に突き刺さった。
完璧な母親じゃなくていい
翌日、私は少しだけ考え方を変えることにした。
「怒らないお母さん」になるのは、私には無理だ。
だから、「怒りすぎたと思ったら、すぐに謝るお母さん」になろう。
イライラして爆発しそうになったら、一旦深呼吸してトイレに逃げ込む。
「今は余裕がないから、あとでね」と素直に伝える。
そして、もし怒鳴ってしまったら、「さっきは大きな声を出してごめんね」としっかり抱きしめる。
それからというもの、私の「怒りすぎる回数」は少しずつ減っていった。
完璧じゃなくてもいい。
失敗したら、そのつど娘に謝って、一緒に成長していけばいいんだ。
今でも時々、感情をコントロールできずに自己嫌悪に陥る夜はある。
でも、そんな時は必ず娘を抱きしめて、素直な気持ちを伝えるようにしている。
「ごめんね」の言葉の分だけ、私たちは親子の絆を深めているのだと信じて。
もし、かつての私のように、子供に怒りすぎて一人で泣いているお母さんがいたら。
あなたは決して、ダメな母親じゃない。
毎日一生懸命に向き合っているからこそ、イライラしてしまうんだと思う。
だから、そんな自分を責めすぎないでほしい。
明日はきっと、今日よりも少しだけ笑える時間が増えるはずだから。