深夜23時。
リビングの床に座り込んで、私は声を上げて泣いていた。
目の前には、食べかけの冷めた手作りハンバーグ。
床には、娘が散らかしたおもちゃが散乱している。
シンクには、洗わなきゃいけない食器が山積み。
「もう、無理」
その言葉が、自分でも驚くほど自然に口からこぼれ落ちた。
私は、35歳。都内でフルタイムで働くワーママ。
4歳の娘を育てながら、仕事と家事を両立させるために必死だった。
「お母さんなんだから、手作りのご飯を食べさせなきゃ」
「部屋はいつも綺麗にしておかなきゃ」
「仕事も完璧にこなさなきゃ」
自分自身に、見えない呪いをかけていた。
毎朝5時に起きて、朝食と夕食の下ごしらえ。
満員電車に揺られて出社し、夕方には慌てて保育園へお迎え。
帰宅後は、休む間もなく夕食作り、お風呂、寝かしつけ。
毎日が、時間との闘いだった。
「手抜き」への罪悪感
ある日の夕方。
仕事でトラブルがあり、帰宅が予定より1時間も遅くなってしまった。
娘は「お腹すいたー!」と泣き叫んでいる。
冷蔵庫には、下ごしらえすらしていない食材たち。
今から作ったら、何時に食べさせられるかわからない。
「ごめんね、今日はこれにしようね」
私は、冷凍庫の奥から冷凍のハンバーグを引っ張り出した。
レンジで温めて、お皿に乗せるだけ。
野菜は、買ってきたままのプチトマトだけ。
娘は喜んで食べてくれたけれど、私の胸には重い罪悪感がのしかかった。
「本当は、手作りの温かいご飯を作ってあげたかったのに」
「こんな手抜きで、母親失格だ」
そしてその夜、夫が帰宅して何気なく放った一言が、私の中で何かの糸を切った。
「あれ、今日は冷凍?珍しいね」
夫には悪気はなかったんだと思う。
ただの事実確認だった。
でも、その時の私には「手抜きしたな」と責められているようにしか聞こえなかった。
「……じゃあ、あなたが作ってよ!」
自分でも驚くほどヒステリックな声が出た。
そのままリビングの床に座り込み、冒頭のように泣き崩れた。
娘は驚いて私を見つめ、夫もオロオロしている。
最悪の空気だった。
完璧主義を手放す決意
翌日、目は真っ赤に腫れていた。
電車の中で、ぼんやりと昨日のことを思い返した。
手作りのご飯にこだわって、イライラして、結局家族を不快にさせてしまった。
私がやりたかったのは、「完璧な家事」じゃなくて「家族と笑って過ごすこと」だったはずなのに。
「完璧主義、もうやめよう」
そう決意した。
自分の中のハードルを、思いっきり下げることにしたのだ。
まず、平日の夕食作りを諦めた。
休日に作り置きを少しだけして、あとは惣菜や冷凍食品、レトルトに頼ることにした。
「栄養バランスが……」と最初は少し気になったけれど、週末に野菜を多めに食べればいいと割り切った。
掃除も、毎日やるのをやめた。
ルンバを走らせて、週末に軽く片付けるだけ。
多少ホコリがあっても、死にはしない。
変わったのは、私だけじゃなかった
完璧主義をやめてから、一番変わったのは私自身の「心の余裕」だった。
帰宅後、夕食を一から作る必要がない。
その時間が浮いたことで、娘と一緒にソファでゴロゴロしながらテレビを見る時間ができた。
「今日、保育園でこんなことあったんだよ!」
娘の話を、急かさずにゆっくり聞けるようになった。
以前なら、「早くご飯食べなきゃ」「早くお風呂入らなきゃ」と、いつも時計ばかり気にして娘の話を上の空で聞いていたのに。
そして、もう一つ大きな変化があった。
夫との関係だ。
私がイライラしなくなったことで、家の空気が格段に明るくなった。
夫も、私が「手伝って」と頼まなくても、自然と食器洗いやゴミ出しをしてくれるようになった。
「最近、なんだか楽しそうだね」
夫にそう言われて、ハッとした。
完璧な家事をこなしていた時よりも、手抜きをしている今のほうが、私は「いいお母さん」で「いい妻」になれている気がした。
「やらなきゃ」より「笑っていたい」
完璧主義だった頃の私は、常に自分を追い詰めていた。
「これができていない私はダメだ」と、自分で自分を評価して、勝手に苦しんでいた。
でも、家族が私に求めていたのは、完璧な手料理でも、ホコリひとつない部屋でもなかった。
ただ、笑顔のお母さんでいてほしかったんだ。
今でも、たまには「手抜きしすぎかな」と罪悪感に駆られる日はある。
SNSで、彩り豊かな手作りご飯やピカピカの部屋を見ると、少し落ち込むこともある。
でも、そんな時は、あの日の夜、リビングで泣き崩れた自分を思い出す。
家事なんて、多少手抜きしたって大丈夫。
家族が健康で、みんなで笑って食卓を囲めているなら、それが一番の「完璧」なんだと、今は胸を張って言える。
もし、かつての私のように、「完璧でなきゃ」と苦しんでいる人がいたら。
どうか、自分を許してあげてほしい。
手抜きをすることは、決して逃げじゃない。
家族との時間を守るための、立派な選択なのだから。