習い事の送迎に疲弊して親の「やらせなきゃ」を手放したら家族の余白が生まれた話

「早く!もうピアノの時間始まっちゃうよ!」

木曜日の夕方16時半。
私は保育園から帰ってきたばかりの5歳の娘を急かし、着替えもそこそこに自転車の後ろに押し込んだ。

私は、34歳の時短ワーママ。
娘には、水曜日にスイミング、木曜日にピアノ、土曜日に体操教室と、週に3回の習い事をさせている。

「色んな経験をさせて、可能性を広げてあげたい」

最初はそんな親心から始めた習い事だった。
でも、いつの間にかそれは、私にとって「終わりの見えない苦行」に変わっていた。

送迎という名のタイムトライアル

娘の習い事は、どれも家から自転車で15分ほどかかる場所にある。

仕事が終わって、ダッシュで保育園にお迎えに行き、そのまま習い事へ直行。
終わるまでの1時間は、待合室でスマホを見ながらぼんやり過ごす。
帰宅するのは18時半過ぎ。
そこから慌てて夕飯の準備をし、お風呂に入れ、寝かしつける頃には、私はもう立ち上がる気力も残っていない。

「なんで私、こんなに毎日時間に追われてるんだろう」

ある木曜日の夜。
ピアノの練習を嫌がる娘を無理やり椅子に座らせながら、私はふと我に返った。

娘は泣きながら鍵盤を叩いている。
私はイライラしながらそれを見張っている。

誰も笑っていない。
誰も楽しんでいない。
一体、何のために高い月謝を払って、こんな思いをしているのか。

「他の子はやってるのに」の呪縛

習い事を減らそうか。
何度もそう思ったけれど、そのたびにブレーキをかける感情があった。

「でも、周りの子はもっとたくさん習い事をしてるし」
「今やめたら、この子が将来苦労するかもしれない」

ママ友との会話でも、「英語はいつから始める?」「プログラミングもやらせなきゃね」という話題が常に飛び交う。

その空気に取り残されるのが怖くて、私は娘の「やりたい」よりも自分の「やらせなきゃ」を優先していたのだ。

でも、限界は突然やってきた。

ある雨の日のスイミング。
カッパを着て自転車を漕ぎ、ずぶ濡れになりながらスクールに到着した時、娘がポツリと言った。

「ママ、わたし、プールもうやめたい」

いつもなら「もう少し頑張ってみようよ」と説得するところだ。
でも、その日の私は、あまりの疲労に言葉が出なかった。
ただ、娘の顔をじっと見つめた。

娘の目は、私が思っていたよりずっと真剣だった。

親の「期待」を手放す

その夜、夫に「スイミング、やめさせようと思う」と相談した。

「いいんじゃない?最近、行く前いつも泣いてたし。俺も休みの日に体操教室連れて行くの、正直ちょっとしんどかったんだよね」

夫のあっさりとした返事に、私は拍子抜けした。
なんだ、私一人で勝手に「やらせなきゃ」って気負っていただけなんだ。

翌日、スイミングスクールに退会の電話を入れた。
受話器を置いた瞬間、肩から重い荷物がドサッと落ちたような気がした。

勢いがついた私たちは、娘と話し合い、体操教室もやめることにした。
残ったのは、娘が「これだけは続けたい」と言ったピアノだけ。

余白が生んだ親子の時間

週3回あった習い事が、週1回になった。

その変化は、私たちの生活を劇的に変えた。
水曜日の夕方、慌てて自転車を漕ぐ必要がなくなった。
保育園の帰りに、娘と手をつないで遠回りをしながら、道端のどんぐりを拾う余裕ができた。

土曜日の朝も、アラームをかけずにゆっくり寝ていられる。
家族3人で、時間を気にせずホットケーキを焼いて食べる朝食は、どんな習い事よりも贅沢な時間に感じた。

「ママ、きょうはどこもいかないの?」
「うん。今日はずーっと、おうちでゴロゴロしようか」

娘は嬉しそうに笑って、私のお腹にダイブしてきた。

習い事は「親の自己満足」になりがち

「子供の可能性を広げる」というのは、親として立派な理由だ。
でも、それが親自身の「見栄」や「焦り」にすり替わっていないか、時々立ち止まって考える必要があると思う。

親が疲弊して、イライラしながら送迎をしている。
子供も、本当はやりたくないのに親の顔色を見て通っている。

もしそんな状況なら、勇気を出して「やめる」選択をしてほしい。
習い事をいくつかやめたくらいで、子供の将来が閉ざされることなんてない。

それよりも、親が心に余裕を持ち、子供と一緒に笑って過ごす時間の方が、子供の心をずっと豊かに育ててくれるはずだから。

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