夜中の2時、授乳しながら声を出さずに泣いた。
あの日のことは、たぶんずっと忘れない。
私はアヤ、35歳。都内のマンションで夫と1歳半の娘、4歳の息子と暮らしている。夫は毎日終電。土日も月に2回は出勤。実家は飛行機の距離。頼れる人が、近くに誰もいなかった。
「大丈夫」が口癖になっていた
朝6時に起きて、朝ごはんを作って、保育園の準備をして、二人を連れて送り届けて、買い物して、掃除して、迎えに行って、ごはんを作って、お風呂に入れて、寝かしつけ。
毎日これの繰り返し。
誰かに「大丈夫?」と聞かれるたびに、反射的に「大丈夫」と答えていた。本当は全然大丈夫じゃなかった。でも、大丈夫じゃないと認めたら、そこで自分が崩れてしまいそうで怖かった。
夜、子どもたちが寝静まった後のリビングで、ぼーっとスマホを見ている時間だけが唯一の休息だった。でもそれすら、娘の夜泣きで中断される。
毎晩、天井を見ながら思っていた。「いつまでこれが続くんだろう」って。
限界がきた日
きっかけは、ほんの些細なことだった。
夕方、娘がテーブルの上のかぼちゃスープをひっくり返した。床一面にオレンジ色が広がった瞬間、隣で息子が「ママ、おしっこ漏れた」と泣き出した。
二人同時に泣かれて、私の手は二つしかなくて。
どっちを先にすればいいのかわからなくなって、気づいたら、キッチンの床にしゃがみ込んで、自分も泣いていた。
スープまみれの床の上で、三人で泣いていた。
息子が泣きながら「ママ、ごめんね」と言った。その声を聞いて、余計に涙が止まらなくなった。ごめんねって言わせてしまっている自分が、情けなくて、悔しくて。
「助けて」を言えた日から少しずつ変わった
翌朝、初めて夫にLINEした。
「もう限界。助けて」
たった8文字。でも、この8文字を打つのに何ヶ月もかかった。
「母親なんだからがんばらなきゃ」「みんなやってるんだから」。そういう言葉が頭の中でぐるぐる回って、助けを求めることが負けだと思い込んでいた。
夫はその日、午後から半休を取って帰ってきた。玄関で夫の顔を見た瞬間、また泣いた。
「なんでもっと早く言わなかったの」と言われて、「言えなかった」としか答えられなかった。
少しずつやったこと
劇的に何かが変わったわけじゃない。でも、少しずつ息ができるようになった。
まず、夫と家事の分担を紙に書き出した。「できる時にやる」という曖昧なルールをやめて、「水曜と金曜のお風呂は夫」「日曜の朝ごはんは夫」と曜日で固定した。たったこれだけで、「なんで私ばっかり」というイライラがかなり減った。
次に、自治体のファミリーサポートに登録した。最初は他人に子どもを預けることに罪悪感があった。でも、月に2回、2時間だけ預けてカフェでひとりの時間を作った。コーヒーを一杯、誰にも邪魔されずに飲む。たった2時間で、こんなに呼吸が楽になるとは思わなかった。
あと、「完璧な母親」をやめた。夕飯がお惣菜でもいい。部屋が散らかっていてもいい。洗濯物が畳めてなくてもいい。子どもが元気で、自分が倒れなければ、それで100点だと決めた。
ひとりで抱え込まなくていい
ワンオペがつらいのは、甘えでも怠けでもない。
人間ひとりで小さな子ども二人を24時間見続けるのは、そもそも無理がある構造の話だと思う。
「助けて」は弱さじゃない。家族を守るための、一番強い言葉だった。
あの日、スープまみれの床で泣いていた私に言ってあげたい。泣いていい。逃げていい。誰かに頼っていい。あなたはじゅうぶんがんばってる。